さっきの記事(しみじみと、ぼっち属性)を書いて思い出した。
遠藤淑子著山アラシのジレンマ
オチのネタバレになるので未読の方には申し訳ないのですが、でも書いちゃいます。
遠藤淑子といえばこの世の不条理や困難をありのままに受け止めて、前向きな姿勢でとらえなおし前進していく登場人物の力強さに勇気付けられる作風の漫画家さんです。
川原泉と同時期に活躍した方なので、わたしのブログを訪問してくださっている読者さまはご存知かもしれません。
本作は人間関係の距離感について斬新な解決法を示してくれました。
(今も相変わらずですが)当時も人間関係がうまくいかなかったわたしは感動しました。
その前に、タイトルでもあるヤマアラシのジレンマとは何か。
ウィキペディアの説明を下記しますが、要するに心のパーソナルスペースの問題です。
離れすぎていると寒い(知り合えない。仲良くなれない)
近すぎるとトゲが刺さって痛い(仲違いしてしまう)
ヤマアラシ(ハリネズミ)のように誰もが見えないトゲをもっていて、近寄ると刺さってしまう。
触れて欲しくない事柄、踏み込んで欲しくない領域。
それがトゲの長さです。
人によってこのトゲの長さや太さ鋭さはまちまちで、トゲが短い人は馴れ馴れしい、トゲが長い人はみずくさいとかとっつきにくいと言われるのかもしれません。
だからちょうど良い距離感でお付き合いしましょう。
親しき仲にも礼儀あり。
そんな風に解釈されるのが一般的です。
ヤマアラシのジレンマ
wikiより
「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマ。
寒空にいる2匹のヤマアラシがお互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという、ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの寓話による。
“ある冬の寒い日、たくさんのヤマアラシたちが暖を求めて群がったが、互いのトゲによって刺されるので、離れざるを得なくなった。しかし再び寒さが彼らを駆り立てて、同じことが起きた。結局、何度も群れては離れを繰り返し、互いに多少の距離を保つのが最適であるのを発見した。これと同様に、社会における必要に駆り立てられ、人間というヤマアラシを集まらせるが、多くのトゲや互いに性格の不一致によって不快を感じさせられる。結局、交流において許容できるような最適の距離感を発見し、それがいわゆる礼儀作法やマナーである。それを逸脱する者は、英語では「to keep their distance」(距離を保て)と乱暴に言われる。この取り決めによって、初めて互いに暖を取る必要が適度に満たされ、互いの針で刺されることも無くなる。とは言え、自らの内に暖かみを持つ人間は、人々の輪の外に居ることを好むであろう。そうすれば互いに針で突いたり突かれたりすることも無いのだから。”
但し、心理学的には、上述の否定的な意味と「紆余曲折の末、両者にとってちょうど良い距離に気付く」という肯定的な意味として使われることもある。
ちょうど良い距離を取る。
それがヤマアラシのジレンマの解決法です。
しかし、もうひとつの解決法があります。
それがこの漫画のオチでもあるのですが、全身トゲだらけのヤマアラシにも、トゲが無い部分があるのです。
それが、腹。胸側。
トゲに覆われていないそこは柔らかで温かい。
2匹のヤマアラシが立ち上がり、抱きしめ合う。
そうすればお互いをしっかりあたためあうことができるのです。
とても優しい物語、ほっこり心があたたかくなる物語です。
ただ、トゲに覆われていないということは、無防備だということです。弱点ということなのです。
お互いがお互いを信頼し相手を受け入れることができなければ、難しい。
そしてわたしは、トゲが刺さらないギリギリの距離感を読むのが下手くそで、ごく限られた信頼する相手と抱き合って暖をとるか、諦めて人の輪から外れ自らの内なる暖で耐える、そのどちらかしか出来ないんだと思います。
遠藤淑子著山アラシのジレンマ