著者である角野栄子は魔女の宅急便の原作者です。
魔女の成り立ち、歴史的事件(セイラムの魔女裁判など)もチラリと触れているまじめなつくり。
悪ふざけが基調になっている魔女図鑑(魔女図鑑ー魔女になるための11のレッスン紹介記事 )とはかなり雰囲気が違います。
魔女とは、もともと人がいきいきと健康に元気に生きるため、手助けする存在だった。
家族が怪我をしたり病気をしたとき、なんとかしてあげたい、治したい、元気になってほしい、そう思った女の人が工夫して諦めなかった姿、それが魔女なのです。
ツギハギの服は貧しさの象徴。
ほっかむりやスカーフやホウキは家事をするから。
森や野原にはえているハーブ採って薬効があるお茶を煎じたり、夜空の星や風の流れに意味を見出して、蓄積された知識と経験を人の役にたててきた。
だけどそれはとても不思議なことだったから、その力が恐れられたりもした。
死と生の狭間を繋げる、そんな存在。
なにかとなにかの間、ってふしぎ。
黄昏時が逢う魔が時といわれるのも、昼と夜の狭間だからだと思う。
カラスが神の使いや魔女の友だちなのは、夕暮れに飛ぶからじゃないかな。
おどろおどろしい妖怪的なイメージの魔女ではなく、森の中で薬草を摘むなんでも知っているおばあちゃん、の魔女。
やさしい料理上手な魔女たち
かぎばあさんとターシャ・テューダーも魔女だと思うんだよね。
ターシャの庭、ターシャの生活はイギリスの古式ゆかしい魔女に思える。
わたしはジブリのアニメ映画の魔女の宅急便より先に角野栄子の原作読んでいたので、初めてジブリ版を観たときはコレジャナイ感がすごかった。
しかしそれも今は昔、ジブリ版を見過ぎてもう原作の内容が思い出せないほど、ジブリに記憶が上書きされてしまいました。
魔女の宅急便、じつはわりと長めのシリーズものの児童書
3巻くらいまでしか読んでない気がする……
(しかもすべて忘れた
にほんブログ村