今住んでるのはごく一般的なマンションなので、間取りもふつう。
なので実家の間取り(一階部分)を描いてみました。
どの部屋が何畳あったか広さとかわかんないのでだいたいの間取りです。
初期バージョン(わたしが子どもだった昭和末期)が右
現在が左
(現在の家には一個トイレあったけど書き忘れました。想像でキッチンの隣にもう一個トイレ設置して下さい)
途中何回か増改築を経ております。
家の真ん中にお風呂がある(換気機能ゼロ)という時期があって、その頃はお風呂に入るたびに家中が湿気の湯気だらけでした。
親が思いつきで改築していったのでそういう有り得ないミスが出ちゃうんですよね。
もちろんそんな湿気がこもる設計ではカビますし、改築が必要になります。
うちの親の行き当たりばったりな行動は枚挙にいとまがない。そしてそういう資質はわたしにも受け継がれているような気がします。
お風呂は
木製の湯船(お風呂に木片が浮く):薪をくべて湯を沸かす昔話かよ!方式
↓
ステンレスの湯船:薪をくべて湯を沸かす昔話かよ!方式
↓
ステンレスの湯船:ガス湯沸かし器(お湯が出る蛇口がついた)
↓
ホーローの湯船:自動湯沸かし器(追い焚きも水量調整も自動)
という変遷
ガス湯沸かし器時代はしょっちゅうお湯を溢れさせていました。
「お湯張っといてー」
「はーい」お湯の蛇口捻りー
じょぼぼー
マンガを読む…没頭……
「…は!」
ざぁあああああー(湯船か溢れた湯が洗い場を満たし排水口へ)
という流れ。
思い返してみると、薪で湯を沸かしていた時代も最初に水を張ってそれから火をくべていたので水を溢れさせてもおかしくなかったはずですが、そういうことはあんまりなかった。
貧乏で水に対する緊張感(モッタイナイ精神)があったからなのかもしれません。
ガス湯沸かし器時代は家計にまあまあ余裕が出来ていて、子ども心に油断してたんだろうなあ。今になってみるとそう思います。
大人がお金の話をしなくても、子どもってそういう空気に敏感。
めんどくさかったけど、木製のボロボロ木が削れていく湯船の頃、楽しかったな。
わざと湯船を引っ掻いて木を削って怒られたっけ。
お湯を沸かすために薪を焚くのも、マッチで火をつけて小さな木から大きな木へ火が燃え広がっていくのを見たり、溜まった灰を掻き出したり、飽きなかった。
そういうのが子どものお手伝いだったなんて凄い時代だと思う。
薪が廃材の木からおがくずを固めた人工薪になって、ほどなくして機械式のお風呂へと移行していったのは、実家の経済状況の改善とか湯沸かし器の廉価とか薪の高騰とかが複合していたんだろう。
納屋とか倉庫とか離れとかもその時々で色々変化していきました。
beforeの間取りにトイレが存在しないのも、今となっては恐ろしい。
トイレのない家……ホラーですね。
いや、無いワケじゃあないのです。
ありました、外に。
ボットン便所が。
トイレに行くたくなるとわざわざつっかけを履いて(つっかけ:今風に言うとサンダルかな)行かなければならない。
夜ともなれば暗闇に切れかけの豆電球、ぞわりぞわりと蠢く蟲やらアンモニア臭の立ち込める掘っ建て小屋で、深い暗闇を跨ぐハードモードミッションでした。
ほんっとに嫌だったなあ!
庭の一隅に肥溜めがあって、定期的にバキュームカーが来て汲んで行ったことを思い出します。
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