『「大家さんと僕」と僕』を読んだので
『大家さんと僕』
『続・大家さんと僕』
の過去記事をリンクしようとブログ内検索してみたら、なにも引っかからなかった。
読んだけど、感想記事書かなかったらしい。
まいがー
前2作、読んだんだけどな。
やっぱり読んですぐに記録に残さないとダメね。
今度、いつか、きっと……は永遠に到達しない。
それがゴールドエクスペリエンスレクイエム!
(深夜のジョジョ再放送見て心がグレイトフルデッドよ。プロシュート兄貴のかっこよさにグラグラしてからのアリアリアリ〜でブチャラティぃいいいいいい!!!てなってキメ顔アリーヴェデルチでノックダウンの美しい流れですわ)
ああ、やばい。
感想記事を書くつもりが矢部太郎よりブチャラティについて書く分量の方が多くなりかねん。
製作裏話と手塚賞受賞やったー!と受賞おめでとうの寄稿文寄稿イラストがメインの一冊。
漫画好き本好きとしては、秋本治(こち亀著者)や村田沙耶香(コンビニ人間著者)や三浦しをん(舟を編む著者)などなど…の寄稿が読めて嬉しかった。
ぜんぜんファンじゃないけど、糸井重里(コピーライター)の文章がめっちゃ美しくて不覚にも感動してしまって悔しい。ぜんぜんファンじゃないのに。いい文出してくるなあ。
さまざまなジャンルの芸人作家漫画家の味が出ていて、寄稿ページがすごく良かった。
短文でも「あ、わたしこの人嫌いだ」ってわかるのが面白い。
文章のリズムや行間や絵のタッチから滲み出ちゃう気配ってどうしようもないよね。
未読の人でいつか読んでみようと思ってた人がいたんだけど「やっぱ読まなくてもいいわ」と思ってしまった。
人柄うんぬんじゃなくて作風への好みの話ね。
性格が良い悪いとか、思想が右だとか左だとか、そういうのとは別の話。
話を『大家さんと僕』に戻すと。
このシリーズがほっこりやさしくて可笑しくてひっそりとものかなしい独特の良さがあるのは、著者の人柄によるものだと言われている。
身近な知り合いや直接会った人が言うのだから、そうなんだろう。
作品を読んでいても、いち読者としてそうなんじゃないかな、そうだったらいいな、と思う。
でも、そうじゃなくてもいい。
そういう世界を描きだすことができたのなら、著者である矢部太郎が実際どんな人間であるかはあんまり関係ない。
テキトーに描いたように見えても、この漫画は、構図や線の一本モノローグの入れ方など、細部に計算と準備がしてあった。
天然ボケの間抜けキャラっぽいけど、それはすっぴん風ナチュラルメイクみたいなものなんだろう。
だから、きっと次回作も期待ができる。
知らなかったけど次回作もうでてたわ
深夜に再放送してる
眠いよ
(寝ろ