戦争て、はじまったらダメだ。
なんていうか、本当に救いがない。
悲惨で虚しくてこわい。
選択肢が無い。
爆撃されて銃撃されて、そんなところで出来ることなんて無い。
ウクライナの人も、ちょっと前までオリンピック観戦したりゲームやってたりアニメ見てたりしてたんだろうに。
まさか本当に攻めてくるなんて思わない。
そんなのリアリティーがない。
嘘でしょ?
なんで?
意味がわからないと思う。
爆風で窓が吹き飛んだ学校や、ぼろぼろになったアパート。
そこで怪我したり亡くなった人たち。
取り返しがつかない。
ウクライナを救おうと声を上げる国もない。
軍を出したら世界大戦になってしまうかもしれない。
でも、手助けしなければウクライナはもっと辛くなる。
落としどころがどこにあるのかもわからない。
だって意味がわからない。
こんなに世界が密接になっているこの時代に、こんなあからさまな侵略行為をするなんて、わけがわからない。
そんなことはしない、というのがここ最近の世界の常識じゃなかったのか?
気候もゴミも資源も人間もウイルスもぜんぶ繋がっているってことが、熱く語られてきたのはなんだったのか。
ここ数年で。
身にしみてわかったんじゃないのか。
自分だけ、自国だけが好き勝手やっていられる時代は終わったと、気づいたんじゃなかったのか。
結局。
なにもかも、表面だけ。
上っ面だけ。
中身のない美辞麗句に過ぎなかったのか。
100年前から人間はなにも変わっていない。
はじまったら、破滅するまで終わらない。のか。
平和な日々は突然打ち切られることがある。
それを今、わたしたちは目の当たりにしている。
3歳か4歳の子どもが「これが戦争だって。死にたくない」と言う。
選択肢なんかない。
爆撃されて、なにができるのか。
自分だったら、どうすることができるのか。
何もできないと思う。
泣きながら逃げられるところを探すか、震えているか。
そこで大義や正義について語ることはできない。
誰に向かって言える?
誰が聞いてくれる?
爆風でなにも聞こえない。
はじまってしまったら、もうなにもない。
「助けて」と泣いている人たちを見て、この人たちと自分たちとなにが違うのだろうと思った。
その人だってちょっと前にはカーリングやフィギュアスケートを見て笑っていたかもしれない。
こんなふうになるなんて思ってもいなかったと思う。
どこかの誰かがはじめようと決めたなら、それは実行されてしまう。
そんなことが起きるはずがない、と信じてこれた今までが間違っていたのか。
どこかの国が攻める、と決めたなら。
それは実行される。
実行されたら、攻撃がはじまったら、決定権のない大多数の一般人はなにも選択肢がなくなる。
漫画を読む自由も、好きなときに昼寝する自由も、人を殺さないでいられる自由もない。
決定権のある誰かが「ここへ行け」といえばそこへ、「あそこに行って敵国の人間を殺せ」といえばそうするしかない。
ロシア兵だって、ウクライナ市民を殺したくないだろう。
たぶん、ほとんどの人が今まで人を撃ったことなんかないはず。
前線でおきるすべてのことに、選択肢がない。
こんなのは損ばかりだ。
株価は下がるし、燃料供給は不安定になるし、ロシアの一般市民はいやおうなく侵略国家の人間とされてしまう。
最悪だ。
最悪なのに、それを実行する人がいる。
この前例を踏襲しようと、どこかの誰かが思うことだってあるかもしれない。
ふつうはしないだろう、と思っていた。
でも、そんなのは思い込みだった。
あるかもしれない。
それが怖い。
石と棍棒の戦争になる前に、わたしもわたしの大事な人もみんないなくなっている。