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Channel: [ridiaの書評]こんな本を読んだ。[読書感想文]
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子どもと「君が代」と歴史と物語

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たくさんコメントありがとうございます。

 

わたしはニュースっぽい話題、考え方の違いが関係するような話題のときは、同じテーマで語られているブログ記事などを漁る習慣があります。

 

今回の場合はハッシュタグ「君が代」「国歌」「国歌斉唱」などですね。

 

自分と同じ意見の方もいれば、そうじゃない意見もあり、リアル世界では論争とは無縁の平和な専業主婦のわたしも、仮想で「朝までナマ激論」している気分になれて面白いのです。

 

ムカつくけど自分と違う意見の人がいるって状態が好きです。

 

わたしは根っからの平和主義じゃないのかもしれない。

や、平和主義だけども。

 

でも、みんな横並びでみんな同じ意見、みんな一緒なんてゲロ出そう。

それくらいならクソみたいな意見だろうが違うことを言う人がいた方が楽しい。

 

だから、超個人的には、「残念な人」もいるこの日本が好きです。

変なヤツがいてもいいと思う。嫌いだけど。

 

 

でも、そういう「残念な人」が教育の場で権力を持つのは困ります。

 

「君が代」を学校で習わなかった人がいることを知って、あらためて、ヘンテコなことになっているんだな…って感じました。

国歌を歌えない、習ってない、むしろ忌避するように仕向ける……それはやっちゃいかんでしょう。

 

心配になって子ども(3月まで小学4年生だった)の音楽の教科書を引っ張りだしてきました。

 

 

 

どうやらちゃんと載っているようです。

ヨカッタヨカッタ。

 

素敵な文章なので引用します。

 

 

「君が代」は、日本の国歌です。

日本がいつまでも平和で栄えるようにとの

願いがこめられています。ほこりをもって歌いましょう。

 

世界の人々も自分の国や地いきの

平和や発てんを願い、ほこりをもっています。

たがいにそのような気持ちをそん重し合うことがたいせつです。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは「君が代」は習ったけど、自虐史観のもとで育ってきた世代です。

 

だからたとえば「天皇陛下万歳」という、言葉の意味だけなら明るいお祝いの言葉にも暗いイメージを想起してしまうし、チクリと痛みを覚えてしまう。

 

国旗や国歌にも、明るいイメージだけを持っているわけではないのです。

 

 

 

 

 

毎年夏が憂鬱でした。

 

大事なことだろうけど、夏が来るたびに、戦争、戦争、戦争。

 

太平洋戦争。

侵略戦争。

悲惨な戦争。

暗愚な軍隊。

煽動される国民。

横暴な官兵。

 

悲劇、悲劇、悲劇。

 

日本は間違っていた。愚かだった。残酷だった。非道だった。類をみないほどのおそろしいことをした。反省しなさい。悔やみなさい。こうべを垂れよ。

 

過去を非難せよ。総括せよ。

二度と同じ過ちはしないと誓え。

 

 

 

 

 

 

 

歴史は物語です。

 

わたしは本が好きで漫画脳で物語好きなので、よりそういう思いが強いのかもしれませんが、歴史は物語だと思っています。

 

物語だから、語る人によって色彩がかわる。

 

円筒形の茶筒が真横から見たら四角に見え、真上から見たら円に見えるように。

見る角度で違う風景が目に映ることだってある。

円に見えた人も四角に見えた人も間違っていない。

 

(ただし、いろんな見え方があるとはいっても、茶筒を「わたしは星型に見えた!」と言ったらそれは嘘です。歴史でもそういう嘘があります。真顔で言うから信じちゃう人もいて困りますね)

 

 

 

わたしは平和を愛するから、そりゃもう戦争なんて嫌です。

 

とくに負け戦は最悪。

 

 

日本は戦争で色々酷いことをしました。

ドイツもひどいことをしました。

 

それらをわたしたちは繰り返し叩き込まれてきた。

教えられてきた。

 

教科書で、映画で、ドラマで、漫画で、小説で、伝記で、ワイドショーで、テレビの特番で。

 

 

「君が代」がどんな扱われ方をしたか。

 

逆に聞きたいくらいです。

 

知らないで過ごせるものか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは蛇足ですけども。

 

日本には血塗られた歴史があります。

前の戦争では悲惨なことも理不尽なこともあったと思う。

 

でも、別に、空前絶後でも前人未踏でも超絶怒涛でもない。

よくあること、普遍的なことなんだよね。

 

こういうこと言うと「反省してないのか!かわいそうな〜の人に悪いと思わないのか!」って輩が出てきそうだけどさ。

 

古今東西の戦争関連の本を10冊でも読みなよ。

なんならウィキペディアでもいいけど。

 

日本なんか、ぜんっぜん特別じゃないから。

 

戦争は残酷。

被害者は悲惨な目にあう。

 

それはいつでもどこでもそうなんだよね。

 

見てきたわけじゃないけど。

 

 

でも、みんな見てきてないでしょ?

 

だれか、戦争見てきた人いる?

 

太平洋戦争で「君が代」を強制されて悔し涙をのみこんだ人、いる?

 

 

 

ここにはそんな人いないよね。

 

アメブロのブログ記事を読んで「戦争責任がー!」「かわいそうな人の立場がー」って言う人たちは、そういう「物語」を聞かされて教えられた人たち。

 

日本は反省しなくちゃいけないって呪文を聞いて育った人たちだと思う。

 

 

わかってないのはお互い様。

 

 

 

 

わたしは他国の歴史に詳しくないし、それぞれの国がどんな歴史教育をしているかも知らない、でも、残酷で不幸な歴史のない国なんてないはず。

 

被害者も加害者もいない国なんてない。

歴史が無い国もない。

 

かわいそうな人がいない国もない。

 

 

 

でもさ。

 

「君が代」に複雑な感情を抱えて、起立しつつも口を閉ざす…それならば、わかる。

 

だけど、わざわざ起立する人の中で着席するっていうのは、かわいそうな人のすることじゃない。弱者のふるまいではない。

 

 

それは、抗議であり攻撃だよね。

 

起立して歌っている人たちへの非難だよね。

 

 

 

こう言う場合、着席する人の思想や背景を思い遣ってあげよう、という「優しい援護者」が湧くけれど、それならば起立して歌っているひとの思想や背景も同じだけ慮ってよ、って言いたい。

 

敬愛する先祖や祖国を謗られて黙ってろっていうの?

自分が生まれ育った国を侮辱されてもこうべを垂れていろって?

 

 

マイノリティーだけを特別に優しく思いやらなくてはならないなんておかしい。

それは逆差別ってものじゃない?

 

逆転した多数決(少数決?)の風潮はヘンテコだと思う。

 

わたしは声なきマイノリティーの代弁者(たくさんいる)ではなく、声を上げられないマジョリティーの側に立ちたい。

 

 

 

 

 

 

 

 


 




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