過去、わたしはほぼ毎日本屋さんに行っていた。
買い集めている漫画や小説の新刊が出ていないかチェックし、見つけたらすぐに買った。
新刊発売日は本屋さんの壁に掛けられた出版社からのお知らせの紙を見た。
新刊の予告があっても書店に並ばないこともあれば、フライングで1日2日早く並ぶこともあった。
コミックス
今のように1話無料立ち読み用冊子はなく、ビニールカバーがない漫画は全て立ち読みが可能で、カバーされている漫画は表紙裏表紙で想像するしかなかった。
もちろんネットの電子書籍もなかったし一冊無料キャンペーンもないので、新しい漫画を読みたければ勘に頼ることが多かった。
漫画家名やタイトルや表紙イラストで「おもしろそう!」と思って買っても、いつも当たりを引くとは限らない。
けっこう外れもあった。
だけど何の義務感か、買い始めたら完結まで付き合わないといけない……という謎の自分ルールによっていくつもの「そんなに面白くない漫画」を何冊も買う羽目になった。
小説
今も昔も文庫派。
めったに単行本は買わなかった。大きくて重くて手が疲れるし、値段もはる。本棚も単行本を並べるとあっという間に一杯になってしまう。
携帯もスマホもなかった頃、暇つぶしには本を読むのが1番だった。
待ち合わせの駅で、喫茶店で、電車の中で、カバンに潜ませた文庫を取り出して掌編を読むのが当時の習慣だった。
持ち運んで読むには短くて軽いエッセイやショートショートが最適で、群ようこ、原田宗典、星新一、中島らも、清水義範は出先でたくさん読んだ。
古本屋
ブックオフがなかった時代、古本屋は埃っぽくて狭くて独特な空気があった。
漫画も小説もその他の本も、陽に灼けていて、白茶けて、ページの隙間には紙魚や茶たて虫が這い回っていた。
一冊10円50円で投げ売りされているコーナーの本を一気に10冊くらい買うのが楽しみだった。
そんな時は普段は絶対に手に取らない難しそうなのや退屈そうなの、未読の作家など冒険した選択をした。
昭和の古い漫画(ホラーのさがみゆきやのらくろの田川水泡など)に出会った。
買い集めている漫画や小説の新刊が出ていないかチェックし、見つけたらすぐに買った。
新刊発売日は本屋さんの壁に掛けられた出版社からのお知らせの紙を見た。
新刊の予告があっても書店に並ばないこともあれば、フライングで1日2日早く並ぶこともあった。
コミックス
今のように1話無料立ち読み用冊子はなく、ビニールカバーがない漫画は全て立ち読みが可能で、カバーされている漫画は表紙裏表紙で想像するしかなかった。
もちろんネットの電子書籍もなかったし一冊無料キャンペーンもないので、新しい漫画を読みたければ勘に頼ることが多かった。
漫画家名やタイトルや表紙イラストで「おもしろそう!」と思って買っても、いつも当たりを引くとは限らない。
けっこう外れもあった。
だけど何の義務感か、買い始めたら完結まで付き合わないといけない……という謎の自分ルールによっていくつもの「そんなに面白くない漫画」を何冊も買う羽目になった。
小説
今も昔も文庫派。
めったに単行本は買わなかった。大きくて重くて手が疲れるし、値段もはる。本棚も単行本を並べるとあっという間に一杯になってしまう。
携帯もスマホもなかった頃、暇つぶしには本を読むのが1番だった。
待ち合わせの駅で、喫茶店で、電車の中で、カバンに潜ませた文庫を取り出して掌編を読むのが当時の習慣だった。
持ち運んで読むには短くて軽いエッセイやショートショートが最適で、群ようこ、原田宗典、星新一、中島らも、清水義範は出先でたくさん読んだ。
古本屋
ブックオフがなかった時代、古本屋は埃っぽくて狭くて独特な空気があった。
漫画も小説もその他の本も、陽に灼けていて、白茶けて、ページの隙間には紙魚や茶たて虫が這い回っていた。
一冊10円50円で投げ売りされているコーナーの本を一気に10冊くらい買うのが楽しみだった。
そんな時は普段は絶対に手に取らない難しそうなのや退屈そうなの、未読の作家など冒険した選択をした。
昭和の古い漫画(ホラーのさがみゆきやのらくろの田川水泡など)に出会った。
菊地秀行の魔界医師メフィストに出逢ったのも、田中芳樹の銀河英雄伝説を手に取ったのも、古本屋さんだった。
図書館
魔女の宅急便、アルセーヌ・ルパン、はだしのゲン、手塚治虫作品、日本の偉人伝、世界の偉人伝、科学のふしぎ、江戸川乱歩、芥川龍之介、世界名作劇場、日本昔話、ひこいち話、とんち話、学校の怪談、世界の神話、西遊記、シンドバットの冒険、十五少年漂流記、ズッコケ3人組シリーズ……
図書館の入り口はざわざわしているけれど、奥の背表紙が濃い色の方はしんと静かで、児童書を持って、奥のほうで読んだ。
学校の図書館、市の図書館。
図書カード(手書き)に借りた本のタイトルが埋まっていくのが嬉しかった。
カードは2種類あって、自分用と図書用。
自分用に借りた本のタイトルと日付、図書用には借りた人間の名前と日付を書く仕組みになっていた。
図書の1番後ろのページに図書カードを入れるポケットがあって、そこに借りた人の名前が書いてあるカードが入っている。
そのカードをには、同じ趣味嗜好なのか、同じ名前をよく見た。
会ったことも話したこともない「その名前」があると、ああ、あなたもコレを読んだんだ。面白かったよね、なんだか気が合うね、なんて思ったりした。
群ようこの無印シリーズは読破した気がする
ムネノリの影響で、我が家ではうんちのことをチョスとよんでいる。
ムネノリはウンチョスと呼んでいた。
箱入りの漫画だった。
手塚治虫は学校の図書館に愛蔵版サイズが揃っていた。
大きな絵で読めて幸せだったと思う。
正直、ジブリの映画版を初めて観た時はコレジャナイ感が凄かった。
今は別物として両方好き。

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