喧嘩してる人たちって、そっくりだと思う。
言ってることも同じだし、やってることも同じだし、口調も論調もほとんどいっしょ。
わざとやってるのかな?
って思うくらい同じだけど、わざとではないらしい。
交互に同じ踊りを踊っているように見える。
自分と相手は天と地ほどかけ離れている
と
どちらも主張する。
どれだけ自分は正しいのか、どれほど相手は間違っているのか。
激しく主張する。
その言い方もそっくり。
陣営をまるっとひっくり返しても、誰も気づかないんじゃなかろうか?
というより
同じ人が
敵味方を演じているのではないだろうか?
そんな風に勘ぐってしまうほど、なにもかも似ている。
たくさんの人が論争していても、どれもこれも似ていて、似過ぎていて、同じ人が喋っているんじゃないかと思う。
わたしはなにを見ているんだろう?
なにを聞いているんだろう?
ぐるぐると繰り返される応酬。
決まったルーティンを演じてみせる、ダンス対決。
悲劇のターン。
裏切りのターン。
怒りのターン。
ソロ演舞。
静かな眠り、悲しみ、再生のターン。
賑やかな群舞。
喜びのターン。
幕間を挟んで、同じ演目が何度も上演される。
演者は代わっても、メイクも流れも同じなので、またいつものダンスだなと思う。
わたしには演じているように見えるのだけれど、そこには嘘も台本もないのだという。
ふしぎだ。
ふしぎで、とてもエネルギッシュだと思う。
顔を真っ赤にして本気で泣き喚くなんて、怒りと悲しみで卒倒するなんて、古典演劇の登場人物か、幼児のような純真無垢さだ。
鏡に向かってわめいているようだ。
すれっからしのにぶい観客のわたしは変なところに感動してしまう。
よく、鏡に向かってそんな顔真っ赤にして叫び続けられるものだ。
疲れないのかな?
楽しいのかな?
夢中になっているのはわかる。
そういうのが好きなんだね。